板倉の歴史

板倉構法の歴史がわかる新聞記事です。

正倉院の構造 当初から不変 年輪年代測定で判明 平成15年6月7日/静岡新聞より

正倉院正倉

正倉院正倉

奈良・正倉院正倉の三室の床材などを年輪年代測定したところ、いずれも七四一年までに伐採されたことを示す結果が出たことがわかり、宮内庁正倉院事務所が6日発表した。七五六年(天平勝宝八年)前後の創建とする従来の説を裏付ける成果。

正倉は一つ屋根の下に北、中、南の三室があり、校倉(あぜくら)造りの北、南倉に対し、中倉は板をはめ込んだ板倉造り

中倉は後世の増設とする説もあったが、中倉の床板も南、北倉と同様に創建当初の部材と判明し、正倉は当初から現在の構造だったとする説が有力となった。

また光明皇后が正倉院の宝物を納めたという東大寺などの記録から、七五六年前後の創建と見られていたが、これも科学的に裏付けられた。

同事務所は「中倉は当初壁がない吹き抜けだった可能性も残るが、明治以来の論争の幅を狭める興味深い成果」と話している。

 

正倉院正倉 創建当初から「1棟3倉」 平成18年5月25日/奈良新聞より

聖武天皇の遺愛品を収めた奈良市雑司町の正倉院正倉(国宝)が、創建当初から「1棟3倉」構造だったことが24日までに、年輪年代測定で確認された。

間をつなぐ中倉の年代は、平成14年度に床下材で確認済みだったが、壁板と天井板でも同じ結果が得られ、裏付けられた。

正倉は校倉造りの南倉と北倉を板壁の中倉がつなぐ構造

奈良文化財研究所の光谷拓実・埋蔵文化財センター年代学研究室長が中倉と北倉の部材16点を写真に撮り、年輪年代を調べた。

 

極端な例ですが、現在に残る板倉造りの一つです。およそですが、木材となってから1200年経っています。改めて木のすごさを感じます。

 

伊勢神宮の内宮、外宮で見られる神様が祭られている宮のほとんどが、ヒノキの板倉です。

伊勢神宮

伊勢神宮

芹沢啓介の家

芹沢介の家

静岡市立芹沢介美術館に「芹沢銈介の家」が展示されています。この家は宮城県石越町に建っていたものを東京に移築、そして昭和62年静岡へ来たそうです。

もともとは、農家の穀物や野菜の収納庫として造った板倉です。芹沢銈介氏はこの建物の健康的で素朴なところが気に入り「自分の住まいに」と考えたそうです。
古くからある板倉に、現代の知恵と文化を盛り込んだ「板倉造りの家」が出来ました。

この板倉構法も建設大臣認定を受け全国の設計士、工務店、 製材業から注目されるようになりました。あまりうれしくありませんが、今ではハウスメーカーまで興味を持ち始めています。一時の流行で終わらせない様、 これからもこの伝統構法を大切に守り続けて行きたいと思います。

2017-04-09 | Posted in 板倉の家とはNo Comments » 

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